執行猶予




執行
猶予



07







あの後のことは、ほとんど覚えていない。

急いで病院に運ばれたディーノに付き添ったのはうっすらと記憶にあるが、曖昧だ。

細雪さんの話によると、手術が無事に終わり、眠っているディーノを確認してから、気を失ったらしい。
屋敷の自分の部屋のベッドで目を覚まして、あれは全て夢だったんじゃないか、と思ったけれども自分の着ているドレスに飛んだ血が現実に引き戻す。


どうして、攻撃しなかったんだろう。
どうして、私なんか庇ったんだろう。
どうして、私は逃げなかったんだろう。
どうして、私は助けを呼ばなかったんだろう。


ふと、テーブルの上の本が目に止まる。
細雪さんから借りてそのままだった花言葉の本だった。
静かに、ページをめくる。


胡蝶蘭「あなたを愛しています。」 

チューリップ「愛の告白」 

マーガレット「真実の愛」 



気付くと、頬が涙で濡れていた。
そのまま、子どものように大声を上げて泣きじゃくる。

どうしようもない罪悪感と、後悔に胸が張り裂けそうだった。




◇◇◇◇◇


容態が安定したディーノは、入院から自宅治療に切り替えることになった。
今は、自室に医療器具が運び込まれて、病院並みの設備を整えて治療しているらしい。
起きている時間も長くなって、順調に快方に向かっているそうだ。

面会許可がおりるのを待って、私は彼の寝室の前に立っていた。

静かに、扉をノックする。


「どうぞ。」


こんな形で入ることになるとは思わなかった。
そうっと足を踏み入れ、見渡すと大きなベッドに横になっている姿を見つける。


「…具合、どうですか?」


「もう、大丈夫だ。情けないところ、見せちまったな。」


そう言って、くしゃりと微笑む姿を見ると、心にとどめていたものが氾濫してしまった。


「すっごく、怖かったです。びっくりしました。なんで…なんで、庇ったんですか!」


駄々を捏ねるように、泣きながら感情をぶつけた。
ディーノを責めるのは間違っている、むしろ責められるべきは自分だとわかっているのに、コントロールできない。


「ごめんな。」


まだ万全では無いはずなのに、無理矢理起き上がったディーノは、私を引き寄せてベッドに座らせた。
大きな手で、なだめるように頭を撫でられる。


「なぁ、。あの夜、できなかった話を今からしたいんだけど、聞いてくれるか?」


柔らかい色をした瞳でこちらを見つめられて、静かに頷き返した。


「情けない話なんだが、俺は部下がいないと駄目なんだ。比喩的な話じゃなくて、本当に。部下の前以外だと、能力が著しく下がる。」


まるで嘘みたいな話なんだが、事実なんだ、と淡々と語る。
部下の前だと執務も、戦闘も、すべての能力を発揮して『ボス』でいられる。
けれども、一人になると運動能力が下がって自分の足にすら躓くは、礼儀作法は崩れるわ、で駄目になってしまう。


「ある意味、究極のボス体質だ、って言われた。」


真剣に語られる話に、じっと耳を傾ける。


「俺はもともと、マフィアになりたくなかった。でも、ダメダメだった自分が部下の為なら能力を発揮できるようになってから、キャッバローネが俺の生きがいになった。
部下を大切にして守る。
そうして、部下の信頼を勝ち得て、キャッバローネを運営していく。
ファミリーのため、キャッバローネのため。そうやって生きていくのが俺の存在意義だったんだ。
今回の婚約も、キャッバローネのためになるなら、っていう理由だけで受けた。」


頭を撫でていた手が離れ、手を掬われた。


「最初は、たとえどんなに嫌な相手でもファミリーのためになるなら結婚くらい構わない、って思ってた。けど、に会って考え方が変わった。」


握られた手を、静かに握り返す。


「手紙のやりとりをしたり、デートしたりしていくうちに、どんどん好きになっていった。趣味の話、嫌いなもののはなし、小さい頃の話、ファミリーのこと抜きで、俺のことを見ようとしてくれているのが凄く嬉しかった。だからこそ、絶対に嫌われたくなかった。」


だから、かっこいいところを見せたくて、デートにロマーリオを連れていったんだ。
情けないよな。そう言って、初めて私に弱々しい姿を見せた。
しかし、きっとこれが本来の彼なのだ。


「あの夜、庇ったのは鞭を『使わなかった』んじゃなくて、『使えなかった』んだ。周りに部下がいないと、うまくコントロールできない。敵に当たるか味方に当たるかすらわからないんだ。」


頬に滑る手のひら。


「どうしても、のことは絶対に、守りたかった。」


「気が付いたら、飛び出してた。必死で、自分のことなんか頭になかった。」


視界が、滲む。


「守れて、良かった。が無事で、よかった。」


私は、彼からこんなにも愛されていたのだ。
疑って、自分のことばかり考えて。



「…ありがとう。」



必死に伝える。


「ディーノのおかげで、私は怪我ひとつ無いよ。」


「よかった。」


そう言って、また安心したように微笑まれて、頬を涙が滑り落ちる。


「怪我が治ったら、もうひとつ、伝えたいことがあるんだ。待っててくれるか?」


長い指で涙を拭われる。
目の前の彼の顔を、しっかりと見つめて、返事を返す。


「待ってる。」


もう、疑ったりしない。