06
あのデートから、またディーノに会えなくなった。
どうやら、襲ってきた刺客絡みでまだゴタついているらしい。
忙しくしているようで、心配だ。
会えないものの、相変わらず手紙のやり取りは続いていた。
同じ屋敷内にいるのに、手紙を送りあう、というのがなんだか少し楽しい。
恋愛慣れしていない私からしたら、この位の距離の縮め方の方が気が楽だ。
「様、ボスからお手紙と、今日はマーガレットです。」
愛されてますね、と言って微笑んだ細雪さんにお礼を言って、大切に受け取る。
ディーノは、こうやって時々お花をプレゼントしてくれるようになった。
最初の頃は毎日手紙に添えてくれていたのだが、切花といえども一日で枯れることはないので、毎日増えていくとさすがに部屋がうるさくなってしまう。
なので、時々で良いです、とお断りしたのだ。
「様。」
「なんですか、細雪さん。」
「花言葉、って知ってます?」
「そういうものがあるのは知ってますけど、詳しくは無いです。」
唯一、覚えているのが友人が嬉々として教えてくれた、リンドウの「悲しんでいる時の貴方が好き」というものだ。
…我ながら、女子としていかがなものかと思う。
「一度、調べてご覧になると良いですよ。」
そう言って嬉しそうに微笑んだ細雪さんは、私に花言葉の本を貸してくれた。
◇◇◇◇◇
私とディーノの関係は、簡単に見えて複雑だ。
婚約していて、お互いの関係も良好。
だけれども、私のなかには消えないもやもやがくすぶっている。
出会って、手紙のやり取りをして、デートをした。
そうして、私はメリット抜きでディーノの人柄に惹かれ始めている。
あまり経験のない私でも明確にわかるほどに、恋をしていた。
ディーノのことを考えると、胸が温かかくなると同時に、なんだか物足りない、寂しい気持ちになる。
私とディーノはいずれ結婚する。
将来を約束された仲だ。
しかしそれは、お互いがお互いを知らないうちに、利害関係の一致から納得して結ばれた約束だった。
私は現在、自分の意志でディーノのことを好きになって、結婚を視野に入れている。
しかしディーノは?
もともと、『ファミリーのため』に受け入れた私という婚約者のことを、どう想っているのだろうか。
ディーノはやさしい。
だから、不安になる。
その優しさの理由に少しでも私に対する愛情が含まれているのだろうか。
彼は、『ファミリーのため』でなく彼自身の意志で以て、私との結婚を望んでくれているのだろうか。
純粋な契約だけなら、苦しまなかった。
けれども、私は彼のことを好きになってしまった。
傲慢だ、身勝手だとわかっていても、彼に愛して欲しい、好かれたい。
まさか自分がこんなにも女性らしい葛藤を体験するとは思わなかった。
これまでずっと、恋愛は自分には無縁のものだった。
『この人良い人だなぁ』とは思っても、相手が私のことをどう考えているのか気にしたり、少しでもよく思われようと努力したりしようとは考えなかった。
あくまで、私は私。
何者にも干渉されず、独立して生きて行きたかった。
強く、ありたかったのだ。
それが、少しずつ揺らいできている。
プライドが高いから、決して表には出さない。
この婚約関係に納得しているかのような毅然とした態度で、慎ましやかな婚約者であるかのように振舞っている。
けれども、内心は落ち着かない、割り切れない。
たとえ相手が私のことをなんとも思っていなくても、傍に要られるだけで幸せ、だなんてドラマのヒロインのように健気ではいられなかった。
愛してくれなくても構わない、愛することが出来るだけで良い、だなんて私には思えない。
むしろ、愛してくれないのなら、『私も最初から愛してなんかいませんでした』と嘯いて自分の体面を保とうとするタイプの、可愛気のない女だ。
恋は人を変える、とよく言う。
その意味が実感を伴ってよくわかった。
それが嬉しくもあり、辛くもある。
私は変わる自分が怖い。
仕事が片付けば、徐々に結婚の準備が進められることだろう。
彼からの手紙を待って、ゲストルームで花を眺めて過ごす、この日常が壊れることに期待を抱きつつも、同じくらい不安になっていた。
◇◇◇◇◇
「…よく似合っている。綺麗だ。」
「素敵なドレス、ありがとう。」
シャンパンゴールドのつるりとしたシルクがなめらかに肌を滑る。
シルバーグレイのフォーマルなスーツに、初めてのデートの時に私が見立てたネクタイを締めたディーノが、そっと手を差し出す。
素直に右手を任せて、今夜は運転手付きの黒いマセラティに乗り込んだ。
二回目のデート、と言っていいのかわからないが、今夜はキャッバローネが傘下に入っているマフィアのパーティーに出席することになっている。
「結婚の報告をしたいから、今週末のパーティーに同伴して欲しい。」と言って、三日前に渡されたドレスや髪飾りなどの正装一式。
それを細雪さんに見事に着つけてもらって、いつもの私からは考えられないほどに気品のあふれる姿(あくまで、いつもの私と比べてだ)に整えてもらった。
「ボンゴレはうちより大きなファミリーだが、9代目…今のボスには良くして貰っている。」
だから、公式な発表をする前に、をきちんと紹介しておきたかったんだ、と言う台詞は素直に嬉しい。
なるべく粗相のないように、と気を引き締めて、会場内をエスコートされるがままに歩く。
やはり、マフィアのパーティーというだけあって黒スーツでピシリと固めている人の中にもちらほら、カジュアルで奇抜な格好をしている人や、インカムでしきりに連絡をとりあっている人たちが見られる。
そうして、当然のことながら外国人ばかりの周囲に少し萎縮してしまって、思わずディーノの腕に絡めた手に力がこもる。
「大丈夫だ。俺が一緒だから。」
そう言って、優しく微笑みかけてくれる姿に、また甘く胸が疼く。
「キャッバローネ、来てくれてありがとう。」
「お久しぶりです、9代目。」
我に返ると、目の前には目的の9代目であろう、仕立ての良いスーツを身に纏った、穏やかそうな人物が立っていた。
ディーノにも言えることだが、失礼ながらマフィアのボスには見えない。
「この度は、お招き頂きありがとうございます。実は、個人的に報告したいことがありまして。」
「それは、隣に立っていらっしゃる可愛らしいお嬢さんに関係することかな?」
目元に皺を寄せて、穏やかに微笑まれる。
姿勢を正し、敬意を払って口を開いた。
「お初にお目にかかります。と申します。」
「俺の、婚約者です。」
「なんと…!それはめでたいことだ!」
「9代目には直接、ご報告したかったんです。」
そう言って、照れたように笑うディーノを見る9代目の目線は優しい。
「さん、ディーノはキャッバローネをしっかりと纏め上げるボスであり、仕事上のパートナーとしても、友人としても、頼りになる男だ。私からしたら、自慢の息子のような存在だ。よろしく頼むよ。」
去り際に言われた言葉に、しっかりと頷き返した。
◇◇◇◇◇
「今日はありがとう。疲れなかったか?」
「大丈夫。パーティーに参加する機会なんて、めったにないから楽しかった。」
「これからは、嫌になるほど参加してもらうことになるぜ!」
そう言って快活に笑うディーノは、アルコールが少し入っているせいか、上機嫌だ。
そのスーツの胸元に、チラリと覗く鞭。
戦闘に関しては素人の私の目にも、使い込まれているとわかる。
今まで、ファミリーのためにこの鞭を振るってきたのだ。
今回のパーティーでもよくわかった。
彼は『キャッバローネのボスのディーノ』であり、多くの人間に必要とされている。
それが誇らしくもあり、憎らしくもある。
こうやって、彼に優しくされ、認められる度に、もどかしくなる。
我儘を承知で言うと、私は彼に、ファミリーのことを抜きにしても必要とされたいのだ。
どんどん浅ましくなっていく思考に、嫌気がさす。
ファミリーのために努力をしている彼の支えになりたい、と思う一方で、ファミリーのことを抜きにして彼の本音を聞きたいと思う。
矛盾した気持ちを抱えて、車窓からイタリアの夜景を眺める。
「なぁ、。帰ったら、大事な話をしたいんだ。」
真剣な眼差し。
「屋敷に着いたら、少し庭を歩こう。」
門の前で停まったマセラティ。
返事を返す前に、ディーノは車を降りて、私に手を差し出した。
口を開くタイミングを失って、また私は差し出した手に素直に右手を任せる。
重厚な門が開いて、車が先に入っていった。
その後に続くようにして、繋いだ手をそのままに、門を潜ろうとした時だった。
「お前が、キャッバローネのボスだな?」
背後から、聞こえた刺を含んだ言葉。
振り返ると、血走った瞳でこちらを見つめる男。
その手には、ナイフがしっかりと握り締められている。
繋いだ手が離され、ディーノの右手がスーツの内側、鞭に届くのが見えた。
「殺してやるッ!」
男の攻撃に備えて、私はディーノからじりじりと離れた。
大声で誰かを呼ぶという考えが、一瞬頭を過ぎったが目の前の男を刺激してしまうのも得策ではない。
ディーノの強さはこの前見て知っている。
近くにいるほうが足手纏いになるだろう。
しかし、予想に反して、男と目が合う。
「お前の目の前で、その女をな!」
男の目標は、ディーノでなくて、私。
ナイフを構えて、こちらにかけ出すのが見える。
けれど、不思議と恐怖心は感じなかった。
このリーチなら、鞭が届く。
ディーノなら、大丈夫。
そう、信じていたのに。
「!危ない!」
目の前で揺れる金色。
地面が少しずつ、赤に染まっていく。
「ボス!!」
「この野郎!おさえろ!」
響く怒号。
あんなに鮮やかに手榴弾をかわした鞭を振るうことなく、彼は私を庇って刺された。