執行猶予




執行
猶予



03






キャッバローネの屋敷で暮らし始めてから、3日が経った。
ディーノさんのことをきちんと知って、結婚について割と真剣に考えていこうとしているのだが、

初日以降、全然会えない。


どうやら、執務が忙しいらしく、朝から晩まで駆け回っているそうだ。
今週いっぱいはバタバタするらしい。


「寂しくないですか?」


「寂しがるほど、まだディーノさんのことを知らないんですよねぇ。」


この数日ですっかり仲良くなった細雪さんにお茶を淹れてもらう。

一応、イタリアに来るまでは社会人をしていたので、後回しにできない仕事があるのは仕方がないと思う。
特に、キャッバローネはマフィアだ。
扱っているものも、おそらく一般企業よりは重いだろう。
しかも、ディーノさんはそのトップ。
そこまでわかっていて、駄々を捏ねるほど子どもでもなければ、まだディーノさんへの執着心もなかった。


「帰りも遅いみたいですしね…。」


そう言ってケーキを切り分けてくれる細雪さんは、私よりも落ち込んでいる。
正直言って、私は全く急いでいないし、気にしていないのだが、落ち込む細雪さんを見ていると、悠長に構えているのが申し訳なくなってくる。


「仕事が落ち着いたら、また食事も一緒にとれるようになると思いますし、待ってみますよ。」


さん…。ほんと、ボスの奥さまになる方が、素晴らしい人で嬉しいですわ。」


ただ淡白なだけの私の態度を、『慎み深い女性』だと勘違いしてしまったらしく、そっと目元を拭う細雪さん。
おまけに、なんだか火をつけてしまったみたいで、両手をがっしりと握られる。


「でも、待つだけでは駄目ですわ、さん。もう少し積極的になっても大丈夫だと思いますの。」



そうして、渡されたのは高級そうなレターセットだった。




◇◇◇◇◇




深夜の執務室。
最近、仕事が立て込んでいて睡眠時間すらろくにとれていない。
あくびを噛み殺しながら、サインをするためのペンを握る。
おざなりに書類に目を通しながら、ぼんやりと婚約者のことを考えた。
初日の夕食以来、全く会えていない。
彼女は退屈していないだろうか。


「失礼します。」

そう言って、控えめなノックと共に入室したのはに付けたメイドの細雪だった。


「どうした?こんな時間に珍しいな。」


定期的にの様子を報告してくれている細雪だが、規則正しい生活を心がけている彼女がこんな時間に執務室を訪れるのは滅多に無い。


「遅くにすみません。けれど、どうしても今日中にボスにお渡ししたいものがあって。」


そう言って、差し出されたのは淡いグリーンの封筒だった。
切手も何も貼られていないが、よく見ると小さく差出人のサインがしてある。


から…?」


「はい。それをお渡ししたくて。…お仕事が落ち着くまで待つ、と言ってらっしゃったのですが、私がお手紙をお書きになっては、と少し強引にお勧めしました。」


そう言ってこちらを見つめる細雪の表情はあくまで笑顔だが、言葉の節々に棘がある。
確かに、執務がいくら忙しいとは言え、慣れない国まで一人で来てくれた婚約者を放ったらかしにしておく、というのは男として失格だ。


「…執務が終わったら読む。ありがとう。」


「お礼なら、様に直接おっしゃって下さい。では、私はこれで下がらせて頂きます。」


音も立てずに執務室を去った細雪を見送って、小さく溜息を吐く。
中断した仕事を再開しようと再びペンを握るが、視界の隅にグリーンがちらついて手につかない。

気がつけば、キャッバローネの紋の入ったペーパーナイフで丁寧に封を開いていた。

中には封筒と同じく淡いグリーンの便箋が3枚。
印象と違わぬ几帳面に整った美しい字で綴られた内容は、彼女自身のことに始まり、屋敷での数日間のこと、俺の印象などが柔らかい表現で綴られていて。

自然と顔が緩む。


予定を変更して、書類にサインをするはずだったペンで便箋に文字を綴った。



◇◇◇◇◇


様、こちら、ボスからですわ。」


そう言って細雪さんから渡されたのは、真っ白い封筒と一鉢の胡蝶蘭だった。


「綺麗…。」


淡い紫の、その名の通り蝶の舞っているような美しい花弁に思わず見惚れる。
部屋の中で、なるべく日当たりの良い場所に置いて、封筒を開く。


「…細雪さん。」


「どうかしましたか?」


「ディーノさんって、もしかして日本語読むのも苦手だったりしますか?」


開いた便箋の中の文字は、お世辞にも綺麗とは言えない。
言うならば、小学校の低学年の子が書いたようなクオリティの文字で。

失念していた。
日本語が喋れるからと言って、読み書きも出来るとは限らないのだ。
もしも、日本語を読むのが苦手なら、私の便箋3枚に渡る手紙を解読するのはさぞや困難だっただろう。
自分の気遣いの足りなさに少し落ち込んでいたのだが。


「いいえ。私が厳しく指導しましたので、文学も読みこなせるくらいには日本語に親しんでらっしゃる筈ですよ。…ボスからのお手紙に、何か問題でもありました?」


どうやら心配は杞憂に済んだらしい。


「読むのが大丈夫なら、良いんです。」




てがみ、うれしかった。
しごとがおわったら、あいにいく。
いっしょにどらいぶ、しような。




ひらがなだけ、しかも歪んで解読の難しい文字で書かれたお返事でも、時間を割いて書いてくれただけで嬉しい。
真っ白い封筒を大切に抱きしめた。