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婚約話をお受けする、と決まってからは早かった。
まずは会ってみなければ始まらない。
しかし相手はマフィアのボスなので国を離れられない。
と、なると私が行くしかない。
辞表を出し、マンションを解約。
荷造りをして、慌ただしく日本を発った。
婚約者が用意してくれた、イタリア行きのファーストクラスの座席(最初はプライベート機を寄越すと言われたのだが、恐れ多すぎて辞退した)に身を沈めながら、取り敢えず今後の身の振り方について考えようと思う。
まず、私が知ってる婚約者の情報を整理してみる。
「キャッバローネファミリー」というマフィアのボスで、名前はディーノ。
幸いなことに、イタリア人でありながら日本語が流暢だそうなので、言葉の壁については心配せずとも良いらしい。
…以上だ。
実はまだ彼の容姿はおろか、年齢すら知らない。
『機密事項』らしく、写真は簡単に渡せないそうだ。
私の頭の中では、イタリアンマフィアと言えばマーロン・ブランドのイメージしか無い。
なんとなく、同年代の人物だと思っていたけれど、もしかしたら相手は初婚ではないかもしれない。
父と娘くらいに年齢の離れた人物の後妻として、ということも有り得る。
そして、忘れてはいけないのは今回の婚約話は政略結婚だということだ。
私は割と真面目に相手と結婚生活をおくる気でいるが、ディーノさん(年齢不詳)には既に身分違いの愛する女性がいて、『結婚なんて形だけだ』と考えている可能性もあるのだ。
もしくは、港ごとならぬシマごとに愛人がいる、というタイプかもしれない。
婚約の話をお受けしたのは、別に『組のことを考えたら私が行くしかないのだわ…!』というような自己犠牲の精神からではないので、決して悲観はしていない。
これまで平凡な人生を歩んできた分、少し刺激を求めたのだ。
傍から見たら、流行らない政略結婚で海外のマフィアに嫁ぐなんて気の毒かもしれない。
けれども当の私はと言うと割と楽観的だ。
しかしながら、譲れないこともある。
確かに婚約は受けた。
このまま何事も問題がなければ十中八九、私はディーノさんと結婚するだろう。
それは納得している。
しかし、彼が私の一生をかけて愛するに値する人間かどうかは私が自分で判断する。
取り敢えず、今回のイタリア滞在中にしっかりと相手のことを見極める。
◇◇◇◇◇
「さんでいらっしゃいますね。お待ち申し上げておりました。」
空港に着くと、ダンディーな紳士が出迎えてくれた。
自然な流れでトランクを受け取り、黒のマセラティに導く手際は素晴らしかった。
さすがイタリア男である。
流石に、ボス自ら婚約者を空港に迎えに来ることは無いと思うので、彼はファミリーの幹部クラスあたりだろう、と勝手に検討する。
マセラティの真っ赤なシートに胸をときめかせながら、流れていく異国の景色をぼんやり眺める。
「屋敷まではもう暫くかかります。」
「はい。よろしくおねがいします。」
気を遣って日本語の分かる人を寄越してくれたようだが、あいにく話題がない。
初対面の外国人男性とペラペラ喋れるだけのコミュニケーション能力が私に備わっていれば、あるいはディーノさんの情報を聞き出して心の準備くらいは出来たかもしれないが、残念なことに私にはそんな高度なスキルは備わっていなかった。
結局、無言のまま屋敷に到着する。
「荷物はあとで運びいれておきますので。後はそちらのものが案内します。」
車の外には新しい黒服マフィアが待機していて、お迎えマフィアよりは少し年上に見えた。
「ボスがお待ちです。」
思わず溜息を吐いてしまいそうな重厚な建築の屋敷。
重そうな扉(絶対に私一人では開けられないだろう)が内側から開いた。
「ようこそ、イタリアへ。初めまして、婚約者殿。」
出迎えてくださったのは、金髪の王子さまだった。