跡部景吾に怯えながら三学期を終えて、無事に春休みを迎えることになった。
(本当に、心臓に悪い一週間だった。)
ようやく心穏やかな日々をおくれる、と気を緩めた終業式の日、帰り支度をしていると、楓がやってきた。
「ーっ!!」
背中におぶさるように抱きつかれて、一瞬バランスを崩すものの、なんとか持ちこたえる。
「ちょ…!楓あぶないなぁ、もう。どうしたの?」
「あのね、春休みに、私の家でお泊まり会しない?」
「お泊まり会?」
「そう!一緒に夜ふかしするの。それで、ついでにもし良かったら弟の勉強もちょこっと見てあげて欲しいんだけど…。」
楓の弟はこの春から氷帝の中等部に上がるらしい。
しかし、勉強嫌いの楓の弟らしくあまり成績が思わしくないようで。
「課題が全然わかんないから、教えてって言われたんだけど、正直教えられる自信がないっていうか…。」
人に勉強を教えるためには理解の上の理解が必要だ。
単純に中学1年生の入学前課題程度なら、楓でも解けるだろうが、教えるとなると難しいのだろう。
「いいよー。でも、お泊りに行って、迷惑じゃない?」
「ありがとーっ!全然!うちのお母さん、にすっごく会いたがってたから!」
嬉しそうに笑う楓のお言葉に甘えて、私の手帳にはお泊り会の予定が書き込まれることになった。
◇◇◇◇◇
「ほんとは2つ先の停留所で降りたほうが近いんだけど、手前にあるケーキ屋さんに寄りたいから、今日は次で降りるね。」
「了解。」
小さめのボストンバッグを抱えて、バスに揺られること5分弱。
停車ボタンを押して、降りると見渡す限り住宅街。
「こんなところにケーキ屋さん、あるの?」
「ふふふ!そうでしょうそうでしょう!知る人ぞ知る、隠れ家的なケーキ屋さんなんですよ、さん!」
楓はそう言って自慢気に胸を張ると、さぁ、行くよと私の手をとって歩き始める。
向かっていく先は大きな一戸建てが建てられたやはり見るからに住宅街エリア。
「冷蔵庫下ろすから手伝ってくれ!」
「わかった。こっち側、持つぞ!」
「この棚はどちらにお運びしますかー?」
そういえば、お引越しシーズンだなぁ、と思いながら、トラックから荷下ろしをしているお兄さんたちを横目でぼんやり眺める。
作業は終わりに近づいているらしく、トラックの中はほぼ空になりつつあった。
「いいよね、引越屋さん!重いものを持つときの腕の筋肉の感じが、とっても!」
…興奮する楓は別の所を見ていたようです。
「あれ、浮気?黒木くん可哀想。」
「見るだけ、想像するだけならセーフですぅー。」
「じゃあ今度、黒木くんと見つめ合ってみようかな。」
「だめー!」
ふざけ合いながらケーキ屋さんに寄り(本当に知る人ぞ知る、という感じの店だった)、楓の家に向かった。
「可愛いお家!」
「メルヘンチックだよねー。お母さんの趣味なの。」
赤い屋根に出窓、生垣のアーチに白のラティス。
絵本に出てくるような可愛らしい木崎家は、そのまま何かの撮影に使えそうな愛らしさだった。
「お母さん!ただいまー!連れてきたよー!」
「…おじゃまします。」
可愛らしいお家に似合わず豪快な帰宅を決めた楓の後に続いてお邪魔すると、内装もメルヘンチック。
パタパタと可愛らしい音を立てて出迎えてくれた楓のお母さんは、ふんわりとした感じの可愛らしい人だった。
「いらっしゃい、ちゃん。いつも楓がお世話になってます。」
「こちらこそ、仲良くしていただいています。」
挨拶を済ませて、楓の部屋(メルヘンな家に似合わず、楓らしいアクティブな部屋だった)に荷物を置かせてもらった後、リビングで遅めのお昼ごはんを頂いた。
「ねぇ、楓。」
「んー?なぁに?」
楓のお母さんの絶品手作りパスタ(生パスタから作ったらしい!)をくるくるとフォークに巻きつけながら、ふと疑問に思う。
「言ってた、弟さんは?」
そう。
今回は単なるお泊まり会じゃなくて、楓の弟さんのお勉強をみるという任務があるのだ。
「ああ。ソウは土日の午前中はテニススクールなの。あの子もテニス馬鹿で。」
「ソウくん、っていうの?」
「うん。そうた、って言うの。奏でるに多いって書いて、『奏多』。」
「綺麗な名前だね。」
「よく、カナタって読み間違えられる、って本人は不満そうだけどね。」
それから、食後のケーキをいただきながら、ソウくんのお話を色々と聞く。
ソウくんも幼稚舎から氷帝っ子らしく、中等部に入ったらテニス部に入部する、と意気込んでいるらしい。
「入ってもレギュラーになれるのは一握りだよ、って言ったんだけど、『テニスがすきだからいいんだ』って。」
呆れたような口調だけれども、楓の目はやさしい。
「でも、私もテニス好きだから、ちょっと嬉しいんだよね。」
「楓もテニスするの?」
「潤やソウに比べたら全然!趣味程度だよ。でも、観るのは一番好き。」
最初に潤のこと、気になりだしたきっかけもテニスだったんだよね、とふんわり笑う楓はとても魅力的だ。
「それで、少しずつ話すようになって、仲良くなって、そこからは割とふたりともあっさりお付き合いに至りました。」
「それがずっと続いてるんだからすごいよね。仲良しで羨ましい。」
楓と黒木くんは本当に仲が良いし、お互いのことを大切に思っているのが伝わってくる。
…そのせいでたまに黒木くんにヤキモチを焼かれてしまうのだけれど。
「は?好きな人、いないの?」
自分ばかり話すのは不公平だ、と言わんばかりにニヤニヤと笑って詰め寄ってくる。
「好きな人…。恋愛的な意味だったらいないかなぁ。単純に、一緒にいて楽しいっていう意味で好きな人ならそれこそいっぱいいるけど。」
「…その返答はつまらないですよ、さん。」
私の誠心誠意の返答は楓には面白くなかったらしく、不満そうな顔でじとーっと見つめられる。
「こんな人がいたらいいな、っていう理想の人ならいるけど…。」
「おお…!聞きたい!聞きたい!」
私だって、一応恋愛に夢見てはいるのだ。
「中身が落ち着いていて、困ったときに支えてくれる人。それで、困ったときに私に頼ってくれる人。」
「…なんか、漠然としてる割には実はレベルが高いね、それ。」
「そうなの。」
頼るだけ、頼られるだけでなくて、きちんとお互いのことを信頼して委ねられる関係を築けるような相手がいたら、理想的だと思う。
けれども、さすがに中学生にそこまで求めるのは酷だし、そもそも前世の記憶がある私は精神年齢がせめて前世に追いつくまでは、現在の自分と同年代の人たちと恋愛するのは難しいだろう。
ワガママを言うと、一応成人女性の人格を持っている身としては、それ以上の落ち着きが相手にも欲しい。
「…前途多難だなぁ。」
「うん。頑張って見つけるよ。」
「いや、だけじゃなくて…。」
Reflection
ヒロインの恋愛観について。
精神年齢が成人してるのに中学生男子に恋愛なんて、という意識があります。
会話にだけ登場した楓ちゃんの弟の奏多くんは、後々出てくる予定です。
REPLAY
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