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02. He is






『跡部景吾』の名を氷帝学園で知らぬ者はいない。

強豪チームであるテニス部の部長。
眉目秀麗、成績優秀の帰国子女。
そして氷帝学園を束ねる生徒会長。
彼を語るのに困ることは無い。
そのくらい、多岐に渡って名を轟かせる、謂わば雲の上の人。

対して私はごくごく平凡な中学生だ。
一応、父の会社は小さいけれどそこそこの業績を上げているので、立場的には『社長令嬢』ではある。
けれども、私自身は目立たない方で、とりたてて自慢できるような趣味も特技もない。
読書は好きだけれど、それも図書館中の本を読みつくしました、だとか文学ならひと通り読みました、なんて言えるようなものじゃなくて、自分の読みたいものを読みたい時に読む程度。
成績も絶望するほど悪くはないけれど、決して胸を張って見せられはしないレベル。
跡部くんとは主役と照明係くらいの隔たりがある。

だから、お互いの親公認とは謂えども、最初はどう接していいのか困った。
それは勿論、彼を彩る綺羅びやかな功績が理由でもあるし、勝手に抱いていた「冷たい」というイメージのせいでもある。
生徒会長やテニス部の部長として冷静に采配を振るう姿しか見たことがなかったからかもしれない。


けれども、実際に話てみると跡部くんは驚くほど優しかった。


ほぼ初対面に等しい食事会だったけれども、居心地の悪さを感じることがなかったのは、彼の気遣いのおかげだ。
私の退屈しないような話題を振ってくれ、時折適切な相槌を打ちながら、真摯に耳を傾けてくれる。
逆にこちらが質問したときには、私にもわかるように丁寧に答えてくれる。


正直言って、今まで話したなかの誰よりも、話していて楽しかった。


そうして、謎の食事会をきっかけに私達は連絡先を交換して、ときどきメールを送りあうようになった。
3日に一通だったり、1週間に一通だったりと、頻繁にではないものの、私は跡部くんとのメールのやりとりを楽しみにするようになっていった。
その後、お互いの父同伴のお食事会は何度か開かれ、私は急激に跡部くんと親しくなっていった。


告白しよう。

私は、ずっと前から跡部くんに憧れていた。
直接会って話したあのお食事会から。
いや、本当は遠くで眺めるだけだった頃から密かに憧れていた。
しかしそれは、『私もあんな風になれたらいいのに』という憧れで、世間一般で言う恋愛感情とは少し違ったのだ。

それが、直接会って、話して、メールを交わすうちに、今度は彼の人柄に惹かれていった。

話を聞く時、絶対に目を逸らさないところ。
驚くと、大きく一回瞬きをするところ。
フォークとナイフの使い方は見蕩れてしまうほど優雅で完璧なのに、箸が苦手で和食は好まないこと。
好きなものについて話すときは、少し早口になること。

そうやって、ひとつ、またひとつと跡部くんの新しい一面を知る度に、嬉しくなった。
そして、もっと知りたい、近づきたいと願うようになっていた。



私は、跡部くんに恋をしている。




◇◇◇◇◇



白い靄が少しずつ晴れていく。


「もしかして、当たっちまったか?」

「すみませんっ!!あの、大丈夫ですかっ!?」


男の子たちの呼びかけが聞こえる。
少し声が遠いのは未だきつく抱きしめられているからだ。
ぎゅっ、ときつく瞑っていた目を恐る恐る開く。


「大丈夫か、。怪我してねぇか?」


頭上から聞こえる優しい声に慌てて目を上げる。


「跡部くんこそ!大丈夫だっ…た?」


目の前には見慣れたアイスブルー。
けれども、いつもと違う。
見上げる首の角度が心なしかいつもより大きい。


彼は、果たしていつの間に着替えたのだろうか。
先ほどまで私を抱きしめていた跡部くんはコートを着ていたのに、目の前の彼はワイシャツ一枚だ。 そして何より雰囲気が、見慣れた跡部くんのようで、跡部くんじゃない。


一体、彼は誰?



「えーっ!!すっごいイケメンが現れたーっ!?」

「どうやら、10年バズーカ当たっちまったみたいッスね、10代目!」

「俺、こんな男前、初めてみた!すげー!」


男の子たちが何やら騒いでいる。
しかし私は目の前の彼から目が離せない。


「とりあえず、無事ならいい。説明は後だ。移動するぜ。」


手を引かれ、階段の残りの段を登る。
未だ呆気にとられている男の子たちの横を素通りして、図ったようなタイミングでやってきたタクシーに乗せられた。



「並盛グランドホテルまで」



逆らわなかったのは、繋がれた手がよく知っているものだったからかもしれない。