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嘘をつくことと

何も言わないことは

違うと思うから。


るりはこべ









その人に初めて出会ったのはよく晴れた春の日だった。




父が死んでから一人で暮らすのにも慣れてしまい、一人で山へ入ることにも抵抗が無くなっていった。



思えば半ば自棄になっていたのかもしれない。





頼れるような親戚もいない、後ろ盾のいない娘が嫁に行くのは酷く難しい。



とっくの昔に結婚は諦めていた。



子供は可愛いとは思うが、自分自身が食べていくのも精一杯の今、養う余裕など皆無だ。





ついつい感傷的になって涙が出そうになった。



「このまま独りきりで死んでいくのかしら。」



冗談めかして呟いた独り言が酷く寂しく響いた。





溜息と一緒に限界を迎えた涙が頬を伝って、父が死んで以来初めて泣いた。



こんな山の中に誰も来るわけないのに、声を上げて泣くことは自尊心が許さなかった。



ひからびるまで涙を出し切ると、気分がすっきりした。





「よし。今日からまた頑張ろう。」



口に出して小さく笑う。



大丈夫、私はまだやれる。そう、自分に言い聞かせた時だった。














「女ってのは泣いたり笑ったり忙しい生き物だな。」











迂闊だった。



この辺りは庵も無いから人と会う事は無いと思って油断した。



突然声を掛けて来た相手は何処からどう見ても帯刀している。








足が竦んで動けない。



今度は恐怖からの涙で視界が曇り始めた。







男が小枝を踏みしめる、パキリ、パキリと言う音が徐々に近づいて来る。



殺されるならひと思いにやられた方がいい。



諦めて目を堅く瞑った。











「んなに怯えなくてもなんもしねぇよ。」










男は刀ではなく、水筒を私に差し出した。



どうしていいのかわからず躊躇っていると、男は小さく舌打ちをして私の手をとった。













「あんだけ泣けば喉乾いてんだろ?飲んどけ。倒れるぞ。」










本当は素姓のわからない者から受け取ったものを口にしない、と生前の父と堅く約束したが、何故だかこの男なら信じても大丈夫な気がした。



受け取った水筒に口を付けると、自分が思っていたより乾いていた事を気づかされる。



男は満足そうに頷くと、どっかりと腰を下ろした。











「で?お前、なんでこんなところにいるんだ?」
















「山菜を採りに来ていたんです。」










独りじゃ耕せる範囲も知れている。



無料で手に入って、なお且つ美味しい山菜はこの時期の私の主食だった。



泣く前までに摘んでおいたウドの籠を見せると、男は納得したように頷いた。











「確かにいいウドだな。」








雲が静かに流れていく。



どのタイミングで立ち去ればいいのだろう。



男はまだ此処から動く気は無いようで、ぼんやりと座っている。



よく見ると片目を眼帯で覆っている。



しかしそれを差し引いても綺麗な顔立ちをしていた。



着ている物もよく見れば高そうな着物だ。



いくら綺麗な人間でも、人間観察ではお腹は膨れない。



そろそろ帰ろうかと思った時だった。













「本当に独りきりの人間なんていねぇよ。」










それは独り言だったのかもしれない。けれども静かな空間では鮮明に耳に届いた。



指先が急激に冷えていく。



一瞬で頭に血が上る。













「本当に独りになった事が無いからそんな事が言えるんです!」










この人は知らないから。知らないから簡単に言える。






「昨日まで当たり前にあった存在が突然無くなる苦しみが貴方にわかりますか?」



父は目覚めたときには静かに旅立っていた。
















「唯一の心の支えが折られる痛みがわかりますか?」



母が死んでから、お互いが全てだった。ただ一人の肉親。
















「それでも、今は俺がいる。」










それは静かだったがあまりにもはっきりとした言葉だった。














「お前とは何も関係ねぇ他人だが、いまこうやって一緒にいる。だからお前は独りじゃない。」








それはあまりに無茶苦茶な理論だった。



けれど、その言葉は私の心にすとんと入った。
















「ありがとうございました。少し、気が楽になりました。」
















久しぶりに心から微笑んだ。



男は一瞬、虚を突かれたような顔をすると綺麗に微笑んだ。











「やっぱりそうやった自然に笑う方がずっといいぜ。」










自然に告げられた言葉に頬が熱を持つ。



思わず顔を背けると、男は満足そうにくつくつと喉を鳴らして笑った。



静かに立ち上がると、籠からウドを一掴み取った。











「相談料だ。貰って行くぜ。」










きっともう二度と会えないだろう。



これで今日だけで父との約束を二つも破る事になる。



心の中で謝って、まっすぐ男を見据えた。











「私、って言います。」




あなたのお名前を教えてください、と続けようとした唇を人差し指で止められる。



仄かに香の匂いがした。











「嘘、つきたくねぇんだ。」










そう言った時の顔があまりに辛そうで、それ以上は何も言えなかった。



ただ静かに頷くと、長い指がそっと唇から離れてゆく。













男は最後にもう一度綺麗に微笑むと再び、ぱきり、ぱきり、と小枝を折りながら山道を引き返して行った。
















Reflection





思わず声をかけてしまったのは


過去の自分と重なって見えたから






フラれる言葉で10題
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