「あ、日吉くん!丁度良いところに!」
放課後、テニスコートに向かう途中に出会ったのは、鳳の慕う先輩だった。
他の女子と違って、さっぱりとして大人びた先輩と過ごすのは割と居心地が良くて、最近は鳳抜きでも頻繁に話す。
俺のいる靴箱まで小走りでやって来た彼女は、ごそごそと鞄を探って、シンプルな紙袋を取り出した。
「これ、クッキー焼いたんだけど、日吉くんも良かったらどうぞ。会えなかったら諦めて自分で食べようと思ってたんだけど、会えて良かった。」
「ありがとうございます、いただきます。」
自分から渡しに行こうとせず、『会えたら渡そう』という考え方が先輩らしい。
こういう距離のとり方をするところが、この先輩のことを好ましく思う理由の1つだ。
しかし最近、それを少し物足りなく思ってきている自分がいる。
鳳に影響されすぎだろうか、と思うがあまり悪い気はしないから不思議だ。
「また次に会った時にでも感想、聞かせてくれると嬉しい。」
「はい。わかりました。先輩の作る菓子類は、そんなに甘すぎなくて丁度良いのでいつも美味しくいただいてますよ。」
事実、他の女子からも時おり手作り菓子の類を受け取ることがあるが、自分には甘すぎる。
普段から甘いものに馴染みがないからかもしれないが、いつも食べるのに苦労するのだ。
しかし、彼女の作るものは食べるのに苦労したことがない。
甘さも程良くて、上品で食べやすい。
「ありがとう。私のお菓子が甘くないのは、周りの人がみんな、あんまり甘すぎるのが好きじゃないから、レシピの分量よりもお砂糖控えめで作ってるの。」
「…お菓子作りとかって、レシピ通りに作らなければ失敗するんじゃないんですか?」
「慣れてくると、いじっていいものと変えちゃ駄目な分量がわかってくるから、アレンジしても失敗することは少ないよ。」
そうやって、にこにこと答えてくれる内容は、料理慣れしている人のもので。
「料理、結構よくするんですか?」
「うん。数少ない実用的な趣味のうちの一つ。お母さんがお料理好きだから、手伝ってるうちに自然と覚えたと言うか。」
そう話す先輩の表情は柔らかい。
少し照れているのか、ほんのりと染まった頬が女性らしかった。
そんな姿を見ていると、ついつい余計なことまで口走ってしまって。
「そういうの、女性らしくていいと思います。先輩の作ったもの、俺、好きです。」
言ってしまった直後から後悔が押し寄せる。
我ながら、らしくない発言に取り戻せるなら今すぐ無かったことにしてしまいたい。
「じゃ、部活があるんで、また。」
熱くなった頬を悟られないように、慌てて踵を返してコートに向かう。
一瞬、見えた先輩の顔は嬉しそうに柔らかく微笑んでいた。