立海大付属中学に入学して、はや2年。
私の、目立つキャラクターとは接触せず、地味に大人しく生きていこうという目標は無事に達成されていて、現在に到るまで平凡ライフを順調に歩んでおります。
順調にモブ街道を突っ走っているのは、私の努力は勿論、生徒数の多い立海で、スターのようなテニス部員と接触するのは、本人が望んでいても難しいから、という理由が大きい。
私からすれば、テニスが上手くて容姿が優れている中学生、という認識しかないので、なんだかこの女の子たちの大袈裟な様子は少々納得がいかないものの、これまでの人生で『この世界』ではこういうものなのだ、と納得した。
バレンタインチョコの数が尋常じゃなくても、部活中にテニスコート周りに黒山の人だかりができていても、『この世界』だから、と納得している。
ここまで長々と何が言いたかったのかというと、つまり私は現状の「平凡モブライフ」十分に満足していたのである。
それなりに友達はいるし、大阪には可愛い従弟もいる。
多少、前の世界と違って戸惑う部分もあるが、大きなトラブルや命に関わる大事件が起こるような舞台設定ではない。
このまま静かに穏やかなセカンドライフをおくるはずだった。
はずだったのだ。
◇◇◇◇◇
あの日、私は朝から少し熱っぽかった。
心なしか、喉が少し痛いような気もしたし、完全に風邪の初期症状だった。
しかし、幸いなことに金曜日。
真面目っ子の性分で、出来る限り授業を休みたくなかったから、今日さえ我慢すれば、明日と明後日は家でおとなしくしておけば大丈夫だろうと思って無理に登校した。
これがすべての間違いの始まりだった。
もしもあの時の自分に助言できるのなら、諦めて欠席しろと言いたい。
午前中は、なんとか耐えた。
問題は午後からだった。
昼食もほとんど食べられす、顔色悪くぼんやりしている私を見かねて、友人に保健室に行くようにすすめられた。
最初は意地でも授業を受けようと思っていたのだが、
「今日は先生が授業を潰して校外学習の班決めをするって言ってたよ。私達がちゃんと言っておいてあげるから!」
「ほんと、顔色ひどいよ?保健室が怖いならついていってあげてもいいよ?」
という、からかっているのか心配しているのかわからない気遣いに押されて、大人しく保健室に向かうことになったのだ。
「…失礼します。」
控えめにノックして入室した保健室に先生の姿はなく、入り口の札を確認すると、「外出中」になっていた。
運が悪い。
ここへ向かうまでに少しずつ朦朧とし始めた意識に鞭打って、体温計を挟みながら、利用者名簿に学年、クラス、名前を書き、『気分が悪い』の欄にまるをつけた。
体育の授業でサッカーでもやっているのか、ホイッスルの音や生徒の声が聞こえてきて、静かな保健室に小さく響く。
「うわぁ。8度5分もあった…。」
体温計を確認すると、思ったよりも熱が高い。
道理でしんどいわけだ。
急激にふらつき始めた足を引きずって、ベッドへ向かう。
頭がクラクラしすぎて、ただ休みたい、横になりたいという一心だけで、一番近いベッドのカーテンを開ける。
「…なんやお前さん。」
そこには銀髪の男子生徒が一人、寝転んで携帯をいじっていた。
「こんなとこまで追いかけてくるんか。女子は怖いのう。」
(頭が銀色だ。常々思っているのだが、構内で度々見かける変わった髪色は各自で染めているのだろうか。風紀委員に叱られないのだろうか。)
この時、熱で頭が朦朧としていて、この銀髪の男子が誰かまで頭が回っていなかったことが大変悔やまれる。
「なんや、だんまりか?…また今度相手しちゃるから、大人しゅう帰り。」
(帰れとはなんだ。私はとっても気分が悪いのに。大体、携帯をいじる元気のある奴がなんで保健室のベッドで寝ているのだ。)
「ほら、授業あるやろ?教室に…」
高熱でしんどい上に、ベッドの前で立ち往生させられて、この時の私は頭に血が上っていた。
気がつけば、銀髪の男子に思いっきり言い返していた。
…関西弁で。
「自分はどうなん?具合悪いん?」
「は?」
「やから、具合悪いんかどうか聞いてんの。どうなん?熱でもあるん?」
「いや、無いぜよ…。」
思わず反撃に銀髪男子がたじろいだ隙を逃さず、口撃を続ける。
兎に角、ベッドで休みたい一心だった。
「だったら、どいて。」
「は?」
「健康なんやろ?やったら、そこからのいて。こっちは8度5分あんねん。しんどくてふらふら。」
「え…」
「やから、さっさとベッド空けて。こっちはほんまにしんどいんやって、何遍言うたらわかんねん。」
「お…おお。」
「もたもたせんとって。」
上履きをつっかけた銀髪の男子を突き飛ばすように追い出す。
「じゃあ、さよなら。」
シャッ、と乱暴にカーテンを閉め、ベッドに横になった。
そこからは記憶が曖昧で、気付いたら家のベッドに寝ていた。
後から母に聞いた話によると、保健室に帰ってきた先生が高熱でベッドに眠っている私を見て驚いて、母に連絡してくれたらしい。
あれから寝込んだものの、キッチリ土日で完治させた。
そして月曜日。いつもどおりに登校してきたのだが。
(気が重い。)
熱が下がってきた頃から、うすうす気付いていた。
あの日、ベッドから追い出した銀髪男子。
どう考えても仁王雅治である。
銀髪なんて滅多にいない。その上、あの特徴的な口調。
あれだけ避けてきたテニス部部員、それも女子に人気が高くて最も面倒な人物と接触してしまうとは。
悔やんでも悔やみ切れない。
しかし過ぎてしまったことはどうしようもない。
大体、一度くらいの接触が何だ。
保健室には人がいなかったし、多少言葉を交わしたくらいの相手の顔まで、仁王雅治も覚えてはいまい。
もし覚えていたとしても、問題ない。
具合が悪いとはいえ、自分を無理矢理ベッドから追い出した女子に、わざわざ関わろうと思わないだろう。
私ならそんな印象が悪い相手には会いたいと思わない。
接触しようと思うとすれば、よっぽど奇特な人間だろう。
◇◇◇◇◇
「お前さん、じゃろ?」
…聞かなかったことにしてしまいたい。
聞こえなかったふりをしてそのまま帰りたい。
できれば振り返りたくない。
「まさか人違いとか言わんやろ?その顔、ばっちり覚えとるぜよ。風邪、もうよーなったん?」
「…おかげさまで。」
どうやら、仁王雅治は奇特な人間だったらしい。
幸い、放課後の中途半端な時間で靴箱にいる人間はゼロ。
人目がないことが救いだが、なぜ私は彼に話しかけられているのだろうか。
「この間は、ごめんなさい。熱で体調が悪かったとはいえ、強引にベッドから追い出してしまって。謝ります。」
とりあえず、相手にも非がある(健康な癖にベッドを占領していたという罪だ。)とはいえ、無礼な態度をとってのは事実なので、そのことに関しては謝罪する。
「あぁ、あれな。それはもう気にしちょらんぜよ。」
「ありがとう。なら、良かった。風邪、流行っているみたいだからあなたも気を付けて。」
「おお?…ありがとう?」
「うん。じゃあ、さようなら。」
今は無人とは言え、いつ何時人に見られることになるかわからない。
テニス部のファンの先輩方はたいへん恐ろしいのだ。
できれば勘違いされて関わり合いになるような危険は侵したくない。
今はただ一刻も早くこの場を離れたい。
しかし、そうは行かなかった。
突然、右手が何かに捉えられる感覚。
「何か」が、何かなんてわかっている。
わかっているが、
「…あの、離して下さい。」
「嫌じゃ。」
当たっていてほしくなかった想像通り、私の右手を掴んでいたのは仁王雅治で。
いったい何が楽しいのか、にやにやと笑いながら、こちらを見てくる。
「何かまだ、用があるの?この前のことについてはきちんと謝ったし、誰かに見られると私が困るから、早く離して欲しいの。」
「大丈夫ぜよ。しばらくの間、ここには誰もこん。」
何をしたのか知らないが、自信満々に言えるほどの対策でもって人よけをしてあるらしい。
…そこまでして、一体何の用だ。
「お前さん、携帯は持っとるじゃろ?」
「…持ってるけど?」
「貸してみ。」
「…。」
「何も悪戯したりせんから。貸してみ。」
渋々、光と色違いの携帯を渡すと、「女子にしては飾り気のない携帯じゃなぁ」と言いながら、仁王雅治はカチカチとボタンを操作して自分の携帯と近づける。
…嫌な予感しかしない。
「ん。登録しといた。」
「あの、一応聞くけど…。」
「お前さんの番号とアドレス。」
一体全体、なぜそんなことをする必要があるのか分からない。
わからないが、仁王雅治は満足そうに笑うと、くるり、とこちらに背を向ける。
どうやら、アドレスを交換したかっただけらしい。
…私にとっては、「だけ」で済ませられない出来事だが。
「そうそう。お前さん、こっちの人と違うじゃろ?」
その上、どうやら保健室でつい出てしまった関西弁のことも覚えていたらしく。
…ああ、しくじった。
「個人的には、こないだの喋り方の方がすきじゃ。…じゃ、またの。」
◇◇◇◇◇
「そう言えば、そんなこともあったのう。」
「私からすれば、まだほんの半年前の出来事だよ。」
お昼休みの茶道部部室。
向かいでニコニコしながらパックジュースを飲む仁王くんを、冗談半分で軽く睨んでみる。
「まぁ、今から思い返すとだいぶ気を遣ってくれていたんだなぁ、っていうのはわかるけど。」
「これでも、苦労したんじゃよ?」
あれからも、何度か唐突にやってきてはちょっかいをかけて帰っていく仁王くんに、一体何がしたいのか最初はわからなかったが、人目があるときは絶対に話しかけて来なかった。
だからこそ、私も次第に気をゆるすようになってしまったのだ。
そして、この間から昼休みの茶道部部室に居着くようになってしまった。
いわく、人目が無いので居心地が良いらしい。
「は、目立つことが嫌いじゃからの。ちゃんと考えちょったんじゃ。」
「感謝してます。」
飲み終わったパックジュースの箱を屑籠に捨てると、まるで当然のようにそのままの流れで背後からべったりとくっつかれる。
「仁王くん、重い。」
「…雅治。」
「名前なんて誰を呼んでいるのかわかればどう呼んでも一緒でしょ?」
「じゃったら雅治って呼んでくれてもええはずじゃ。」
「…わかった。雅治、はなして。」
「いやじゃ。」
ぎゅっと、腕にこめる力が強くなる。
こう見えても、雅治は繊細で、しょっちゅうストレスを溜めている。
過剰にスキンシップを求めてくるときは、大抵何か嫌なことがあった時だ。
周囲には飄々として見える彼の些細な変化に気付けるくらいには、私も彼のことが可愛いらしい。
「…。」
「なに?」
「あたま、撫ぜんしゃい。」
擦り寄ってくる雅治の銀髪を優しく梳く。
「もっと撫でんしゃい。」
「…猫みたい。」
「になら首輪つけさしてやってもええよ?」
こちらを覗き込んで、意地悪な表情でにやりと笑う。
こういう所は、詐欺師と呼ばれる仁王雅治なのに。
「趣味じゃないのでお断りします。」
突き放すとしゅん、と落ち込む姿は普通の中学生で。
だから、甘やかしてしまうのだ。
「悩みくらいなら、いつでも聞いてあげる。」
◇◇◇◇◇
「ここ最近、仁王の調子が良いね。」
「そうだな、のびのびとプレイできている。」
メンタル面にむらのある仁王は、部長として気にかかる存在だった。
それが最近、トラブルがあっても部活まで引きずることが少なくなった。
それはチームを纏める部長としては大変よろこばしいことだが、仁王雅治の友人としては、少し複雑だ。
「ねぇ、柳。」
参謀と呼ばれるこの男なら、何か知っているだろう、と暗に尋ねてみるが、
「意外と仁王のガードが堅い。誰かの影はあるが、それが誰なのかまではわからない。」
「ふーん。」
柳も、仁王の変化が気にならないはずがない。
それとなく探ってみようと思ったのだ。
しかし、先回りして仁王に牽制された上に、周囲にがっちりとガードを張られた。
仁王がそこまで大事にする相手が誰なのかはとても気になる。
けれども、それを無理矢理暴くのは柳には躊躇われたのだ。
しかし、最高権力者にに言われてしまえば話は別で。
「ねぇ、柳。調べて。」
「…仁王は嫌がると思うぞ。」
一応、庇ってみるが、
「飼ったは良いものの、なかなか懐かなかった猫が他人に手懐けられてたら癪に触るだろ?」
…すまない仁王。俺は無力だ。
遠目に見える銀色に、心のなかで謝罪した。
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【Reflection】
冬リク企画、第五弾!
ヒロインが立海に入学していたら…編でした。
仁王に懐かれて困っていそう、とのご意見をいただいたので、ヒロインが仁王に懐かれる様子を。
(仁王の口調が迷子ですが、ご容赦ください…!笑)
テニス部は結束が強いので、一人に懐かれてしまうと芋づる式に全員ついてきそうです。
ここから確実にヒロインの平凡モブライフは消えていきます…。
柳に見つかった時点でジエンドですね。
しかしこの甘えた仁王の状態を、うちの過保護な光くんが目にしてしまったら、と考えると少し恐ろしい。
素敵なリクエスト、ありがとうございました!
※雪さまへのお礼と簡単なあとがきはブログの方に。